2016年11月30日水曜日

違法性阻却事由の錯誤と違法性の意識に関する私見・個人的見解

誤想防衛については、故意が阻却され、違法性阻却事由の存否の誤認について過失があれば過失犯が成立する。この結論が判例・通説の立場である模様。

理論的には、違法性阻却事由たる事実の存否につき誤認があった場合には、事実の錯誤として、故意(責任故意)が阻却されると説明される(故意を構成要件的故意と責任故意に分ける立場)。違法性阻却事由たる事実を存在すると誤認した場合、その誤認に過失があれば過失犯が成立する。

問題はこの説に対して、構成要件的故意を認めながら過失犯の成立を認めることに批判があること(ブーメラン現象)。

故意犯の要件は満たさずとも、過失犯としての要件充当性を別論として新たに検討しなおし、要件を満たせば過失犯の成立を認めることに何ら問題はないとの反論もあるが、構成要件的故意(認識・認容)があったという前提で、すなわち構成要件的過失(認識ある過失)はなかったとの前提で議論しているわけなので、過失犯は成立し得ない。実体法上は故意と過失は峻別されて然るべきではないか。

そうであれば過失犯の成立を認めるためには構成要件的故意自体を否定する必要があり、そのためには違法性阻却事由を消極的構成要件要素と解し、違法性阻却事由該当事実の存在の誤認によって、構成要件的故意自体を阻却し、構成要件的過失を認定することにより過失犯の成立を肯定する以外に理論的な説明はあり得ないのではないか(消極的構成要件要素の理論)?

違法性の意識(違法性故意あるいは違法性的故意とも呼べるものか?)については、故意の要件としては違法性の意識は不要と解することでよいのではないか(違法性の意識不要説)?よくわからないが、これが違法性の錯誤の問題であれば(違法性阻却事由たるべき事実に関する認識に誤りはないが、その法的評価に錯誤がある場合)、法律の錯誤として故意を阻却しないとの理解でよく、事実の錯誤として故意を阻却する説との理論的整合性に問題はないのではないか?

違法性阻却事由たる事実を存在する誤認した場合も「禁止」の錯誤として故意を阻却せず(事実の錯誤とはせずむしろ法律の錯誤として扱う)、すなわち過失犯成立の余地を残さず故意犯としての刑の減軽のみを認めることとすれば厳格責任説を採ることも可能(ただ、厳格責任説は故意の要件として違法性の意識の可能性を必要とする立場)。

結局、構成要件・違法性・責任という伝統的な3段階の枠組みを維持し(違法性阻却事由は消極的構成要件要素として構成要件の段階で問題にするということはしない)、違法性阻却事由該当事実が存在しないにも関わらず存在すると誤認した場合は事実の錯誤とせず例外的に「禁止の錯誤」あるいは「違法性の錯誤」(法律の錯誤)とすることで過失犯の成立を諦め、故意犯として刑の軽減のみを認め、不可罰とすべき事例については適法な行為への期待可能性なしとして責任を阻却すればよいものと思う。違法性の意識の可能性は故意の要件としては不要と考え、厳格責任説とは違うが、そのように考えても理論的な不整合は生じないと思う。